生田でのくらしと全国一宮めぐり

淺間神社 甲斐國一宮

淺間神社 甲斐國一宮
祭神 木花開耶姫命
所在地 山梨県 笛吹市
最寄り駅 山梨市駅(近くはない)

2022年晩秋、甲斐國一宮である淺間神社を訪れた。
昨年訪れた駿州一宮の富士山本宮浅間大社と同じく富士山の神様である。
駿州の方は浅間と書いて センゲン であるが甲州一宮の方は アサマ と読む。

行き方の罠

車の運転ができないので一宮めぐりは公共交通機関を使っている。
で、浅間神社を地図で調べると中央本線のどの駅からも離れている。
一番近そうな山梨市駅から経路を調べると徒歩だと1時間位かかる。
流石にしんどそうなのでバスを調べた。石和温泉駅から笛吹市営その名も「一宮循環バス」で行くことができそうだ。
しかし時刻表を調べてみると行きはよいよい帰りはない、ようで不便そうなのでよした。
浅間神社の公式サイトを見ると、山梨市駅からタクシーで10分 or 新宿から高速バスと書いてある。
地元のローカルバスはオススメできないのだろう。
素直に高速バスで行くことにした。

スマホでハイウェイバスドットコムにアクセスしてバスタ新宿で乗車。そして降車バス停を選ぶのだが、プルダウンを押すと「中央道甲斐一宮」とあるので ああこれだと選択してバスの席を予約した。

しかしそれが罠であった。

神社のサイトを見ると「一宮停留所下車徒歩10分」と書いてある。
「中央道甲斐一宮」ではないのだ。
帰宅してから気づいたのだが、降車バス停のプルダウンで下にスクロールすると「一宮」が出てくる。

ここで降車してはいけない!
こっちの「一宮」が最寄りです!

最寄りでないバス停で降車したために、かなりの距離を歩く羽目になってしまった。

祭神

神社の曰く祭神は富士山の女神、木花開耶姫命である。
昨年、駿州一宮の浅間大社に行ったときに 「祭神がコノハナサクヤヒメという設定になったのは江戸時代らしい」 というのを何かで読んだが、こちらはどうなのだろうか?

富士山の神が資料に初めて登場するのは文徳実録に登場する「浅間の神」である。

貞観六年、清和天皇のとき富士山が大噴火する。
当時、浅間の神を祀るのは駿河国だった。しかしこの噴火で大きな被害を受けたのは甲斐国だったようで、甲斐の国司は惨状を朝廷に報告した。

朝廷で占ったところ甲斐国で斎敬してないのが原因であり、駿河国と同じように甲斐国でも浅間の神を祀りなさい、ということになった。

翌貞観七年、甲斐国八代郡の郡司候補であった伴真貞に浅間の神が託宣して
「甲斐国で自分を祀らないのがけしからん!」と激おこ。
この託宣はけっこうなインパクトがあり、朝廷は甲斐国八代郡に官社「浅間大神の祠」を立て、駿河国と同じように浅間の神を祀った。

という話が日本三代実録に詳しく書いてあるが、コノハナサクヤも記紀神話も関係ないようだ。

その後、浅間の神の記事はしばらく見られない。
そして300年ほど過ぎた吾妻鏡の時代に富士山の神が登場する。仏教の衣をまとって。
吾妻鏡建仁三年の記事に曰く。
鎌倉二代将軍頼家と供の一行が、富士山麓の人穴という洞窟で不思議な出来事に遭遇する。
土地の古老によると、その穴は浅間大菩薩の住処なのだった。

この頃になると富士山の神は菩薩という仏教キャラになっている。
さらに鎌倉時代の中期になると浅間大菩薩の本地は胎蔵界大日なりとパワーアップ。もはや密教世界の中心だ。

コノハナサクヤはどうなったのか…?

富士山にまつわる物語といえば竹取物語がある。
お話の最後に不死の薬を駿河の山の頂で焼く、それが不死の山>富士山の由来となっている。

竹取物語は平安時代の成立だが、室町時代になるとたくさんのバージョンができていた。
中でも神道集に気になる記事がある。

赫野姫かぐやひめ国司に語りて云はく、我は是れ富士山の仙女なり
(中略)
其の後、彼の赫野姫と国司、神と顕れ、富士浅間大菩薩と申す

神道集

かぐや姫はもともと富士山の仙女であり、恋仲になった国司と一緒に富士山の神である浅間大菩薩になった。という内容。
この時代において富士山の神、浅間大菩薩に「姫」要素が加わったのかもしれない。

時代は下って、江戸時代。林羅山が登場する。
彼は本朝神社考で、浅間大菩薩は大日如来だとかなんとか云われるが仏家が大袈裟に適当に云っているのだ。世間の人は多くこの説を信じているが、私はこれを取らない。と富士の神の仏教色を切り捨てる。
そして丙辰紀行の中でいう。
ある時ある人が「三島の神は大山祗神で、三島と富士とは親子の神」と云った。つまり富士の神はコノハナサクヤヒメである。これが日本紀のこころにも叶うのだ。

案外こうして、富士山の女神として古くから祀られているコノハナサクヤヒメが誕生したのかもしれない。

高速バスで甲州一宮へ

バスのチケットを微妙に間違えたが晩秋も押し迫った11月4日バスタ新宿から甲府行きのバスに乗った。スカッとした爽やかな秋晴れである。
中央道を西へと走る。
調布基地を追い越し山に向かって行く、右に競馬場が見え、左はビール工場だ。
裏高尾から渋滞でおなじみの小仏峠を越えて、左に相模湖を見つつ上野原へと入っていく。
左の窓から大きく富士山が見え始めた。生田の丘から見る富士よりも迫力がある。

郡内の山間を、甲州街道と中央本線と中央道と相模川の上流の川が絡み合いもつれあい西へと進む。
そして笹子の長いトンネルを抜けると甲府盆地であった。

四方を山に囲まれている。盆地の中は緩い斜面になっていて一面が果樹園だ。
山国で盆地という点では我がふるさと作州津山と同じであるが規模感が違う、甲府盆地のほうが圧倒的に雄大である。東から北、西へと連なる甲武信の山々はたいへん迫力がある。

盆地に出るとすぐに「中央道甲斐一宮」停留所についた。
バスを降り、高速の防音壁の扉を横に開く。

そこには辺鄙な風景が広がっていた

ものすごく辺鄙なところだ。もちろんそこは「駅前」ではなく、ただの片田舎である。
Googleで浅間神社までの経路を調べると徒歩20分とでる。「10分じゃないのかよ」と不審に思いつつ果樹園の中の田舎道を歩いた。

ぐるりの山と果樹園。明らかに甲府盆地だ。

果樹園を見ながら、かつての甲州人と小さな貝との戦いに思いを馳せる。

しばらく歩くと大きな国道に出る。20号、甲州街道だ。

これをずっと東に行くと新宿に着くのだなあと、当たり前のことを考えながら歩いていると大きな鳥居が現れた。一宮なのだ!と言わんばかりの額が掛けてあるから間違いなさそうだ。

淺間神社 甲斐國一宮
第一宮の鳥居

鳥居を過ぎて川を渡ると左側に小さなお社がある。浅間神社の末社である天神だ。
令和二年に奉納された牛はピッカピカ。

少し歩くと境内になる。石の鳥居と社号標、日の丸。
その先に随神門、中には矢大臣的な木像。

境内の入り口
随神の方

門をくぐると正面にドーンと拝殿が、と思いきや拝殿の左側面が見えている。
いや、あれは左側なのだろうか?
拝殿の前に立つ人間から見たら左側だが、拝殿の奥に坐す神様から見たら右側だろう。京都の街の右京と左京のようなことが神社の拝殿にも言えるのだろうか?

ようわからんけども、一般的には参道、拝殿、本殿が南北に一直線に並んでいるが、こちらの浅間神社では拝殿と本殿が東を向いている。珍しい配置だと思う。
拝殿の屋根には金色の菊紋があり皇祖神を祀っているのだ!という重厚な雰囲気を醸している。
室内の暖簾みたいなやつは可愛らしい桜の文様だ。

拝殿

拝殿の左側に授与所があって御朱印やらお守りやらをもらえる。
授与所の左側にはお酒の奉納がある。ワインが多いのがお国柄だ。

お酒の奉納。ワインが目立つ。
神楽殿

拝殿の右側は立派な神楽殿。そして大きな横断幕に「干支(えと)参り 今年の干支とご自分の干支にお参り下さい」とある。行かねばなるまい。
十二支のモダンな石像が並んでいて、さり気なく喜捨をアピールしている。
干支とあるが、木火土金水の十二支が60体ズラリと並んでいるわけではない。

十二支石像

十二支石像から本殿の裏手の方に回れる。瑞垣玉垣に囲まれた立派な本殿だ。いちょうの黄葉が綺麗であった。
本殿の南側、玉垣の内側にこの神社の名物である夫婦梅が生えている。
この梅の木になる梅は、いかにも子孫繁栄しそうな珍しい形だ。

夫婦梅
斎田

夫婦梅のほど近く、授与所の裏手には小さな田んぼがある。斎田だ。
収穫したお米は秋の祭典で使用される。

拝殿で10円を喜捨して帰路についた。

中央道のバス停で新宿行きのバスを待つ。予定の時刻を15分過ぎたが来ない。
不安になり案内板を見ると、路線図が描いてあり甲斐大和から路線が二つに別れており、自分がいる方ではない方に「一宮」停留所があった。

○一宮、✗中央道甲斐一宮

ああ、向こうが最寄りのバス停なのだ。どおりで神社まで遠いと思った。
落胆していると目的のバスが入ってきた。

淺間神社 御朱印

御朱印は3種類あるが普通のをもらった。
その3種類とは、普通のやつと山宮のやつと期間限定の特別なやつ。
山宮というのは少し離れた山の中にあって、このお宮の元々あった場所らしい。今は摂社になっている。
そしてもう一つの御朱印は、なにか忘れたが期間限定のものだった。

甲斐國一宮 淺間神社 御朱印
小國神社 遠江國一宮 富士山本宮浅間大社 駿河國一宮

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