生田でのくらしと全国一宮めぐり

夏の花 ゆり 〜百合ヶ丘のゆらい〜

うちのマンションの道路の向かいは高石という。
高石の向こうが百合丘である。駅名は百合丘と表記するが住所的には百合丘だ。

このあたりが百合丘と呼ばれるようになったのはそう昔のことではない。
昭和30年代、日本は高度経済成長時代に突入。
東京の人口は900万人を突破した。
東京都市圏は外へ外へと拡大し、この生田、高石にも都市化の波が押し寄せた。
日本住宅公団による開発が進み、山や谷戸といった農村の風景は団地と新興住宅街へと変わっていった。

そして新しい街に新しい名前を付けることになった。
このとき、開発に協力した地主が百人余りいたこと、
もともと山百合が自生していたこと、加えて神奈川県の県花が山百合であることから、百合丘という町名になった。

というわけで、夏になるといたるところでユリを見かける。